公式では最後の姿。「オスプレイはいらない!市民集会」で発言する川辺氏。 |
習志野市における、市民運動のリーダーである川辺俊一氏が去る2月17日に急逝されました。66才の若さでした。心より御冥福をお祈りいたします。
後日に氏が代表を務める「習志野市民フォーラム」が「偲ぶ会」を開催すると聞いたので、その後に追悼文を掲載(Facebookでは投稿済み)しようと考えていましたが、この間のコロナウイルス禍で、開催が難しいようで、今回の投稿もこの時期になってしまいました。
新聞などの報道によれば、2月17日午後3時頃、千葉県九十九里町小関の港で、駐車した車が移動時に海へと転落。お母様とともに亡くなったものです。「なぜ、そんな所に駐車したのか」と、おもわず疑問と悲しみが交差しました。
葬儀は中野の宝仙寺にて、2月24日に通夜、25日に告別式でした。当初は、「家族葬で」ということでしたが、急遽、一般葬に。それでも多くの弔問客があり、氏の人徳と功績を伺うことができました。
さて、川辺氏は慶応大学卒業後、銀行勤めなどを経て、習志野市を拠点に市民運動を指導。市長選や行政、地域問題にとどまらず、反戦平和運動、護憲運動、反原発運動、労働運動、反差別運動、反天皇制運動、そしてアベ自公政権打倒運動など、あらゆるたたかいの現場に足を運び、草の根運動を長年取り組んできました。
私と川辺氏とは、9年ほど前に氏が代表を務めている「習志野市民フォーラム」と、私が事務局長を務めている「情報公開と市民の会」との交流から始まりました。一昨年は、私の2期目をめざした市議選にも応援にきてくれました。
私の市議選では一緒に歩いてくれました(左が川辺氏) |
最近では、習志野オンブズマン結成に向けて、準備中のさなかでした。
大切な指導者を失い、習志野市民運動に与える影響は計り知れませんが、故人の遺志を継ぎ、運動をさらに発展してゆく使命を果たすことが故人の願いだと思います。
悲しみをこらえて 合掌。
0 件のコメント:
コメントを投稿